私は「何で看護師になりたいと思ったの?」と聞かれると苦しいです。
私が考える看護師になりたい人の理想像は「困っている人に手を差し伸べたい、救いたい」と思った人が看護師になり「命を救う」「穏やかな最期を迎えるサポートをする」ものだと思っていました。
でもそうではない自分にコンプレックスを持っています。
看護師になりたいと思ったきっかけはお父さんに幼いころから「看護師になるんだよ」と言われ続け、そんなお父さんにに嫌気がさして保育園の卒園文集にある将来の夢には「ケーキやさん」と書きました。
「ケーキやさん」と見たお父さんは少し悲しそうな顔をしていたのを覚えています。そして「はるかは看護師になるんだもんな」と言われました。
悲しそうなお父さんを見て「大好きなお父さんを傷つけてしまった」と思い私の心が傷つきました。
お父さんを傷つけたくない、私も傷つきたくない、お父さんがなってほしいと思っている看護師は素敵な職業なんだ、私は看護師になるんだと幼いながらに思いました。
高校を卒業し看護学生になりました。
翌年に国家試験を控えた年末、実家に帰省をしました。
私には6つ年上の兄がいて、とても優しくて、繊細な人でした。
お兄ちゃんは大学卒業後「資格を取るから」と自宅で過ごしていました。
当時は「そっかぁ」くらいにしか思っていなかったのですが、自宅で過ごす本当の理由を私に打ち明けてくれたのは、大学卒業してから何年も経った後でした。
お兄ちゃんは小学校高学年の頃に吃音(どもり)を親戚に指摘されてからずっとコンプレックスだったと私に打ち明けました。「就職して電話をとるときにどもったらどうしようって思う、言葉が出んかったら仕事ができん。」と話していました。
確かに話し出す時にどもることはあるけど、お兄ちゃんは仲の良い友人も恋人もいてコミュニケーションをとれているのに、何がそんなに不安なのかよく分かりませんでした。
「言われることを予想しておけば答えがスムーズになるんやない?」と私は言ってその時の会話は終わりました。
私は高校を卒業して看護学生になるときに1人暮らしを始めました。
実家に帰省するたびにお兄ちゃんと会話をしていましたが、吃音について話すことも時々ありました。
「吃音専門の病院に言ったけど小さい頃やないと治せんって言われた、なんで親は直してくれんかったんやと思う。」
「優しく話を聞いてくれるいい先生に出会った、お金はいらんって言われた。」
「調べたら吃音の人は脳に障害があるって、脳に障害がある人は残酷な事件を起こすってテレビで観てこわいんやけど。」
最初は「そうか」と話しを聞いていましたが、最後のあたりはちょっとお兄ちゃんおかしくないかと思いながらも「大丈夫やろ」としか言えませんでした。
12月、「そっちで資格試験があるから泊まらせてほしい」とお兄ちゃんから連絡があり、私が1人暮らしをしている部屋に泊まりました。
試験が終わった夜はお兄ちゃんから「お酒を飲もう」としきりに何度も言われました。私は翌日授業があり課題があるのと、早く寝たいと思い断りました。
それから看護師試験ももうすぐで、働く病院も決めていてプレッシャーもストレスもあるのに、お兄ちゃんはずっと家にいて働きもしない、何をしてるんだとお兄ちゃんに苛立つようになりました。
年末、私は帰省しましたがお兄ちゃんとはろくに会話をしませんでした。
お兄ちゃんとは「帰ってきたよ」「おやすみ」というそっけない会話をしただけでした。
そしてお兄ちゃんは息を引き取っていました。
受け入れたくない気持ちと
もうここにはいないんだという悲しみがあって。
泣き止まない私を見てお母さんに「お兄ちゃんは楽になったんやで」と泣きながら声をかけられました。
何でそんなこと言えるのか分からない、
泣いているお父さん、お母さんの後ろ姿を見てこんなに悲しませてお兄ちゃんを許せないという怒りの感情が溢れてきて。
遺書なんてふざけた遺書でした。
何で死んだか分からない、遺された私たち家族に何もメッセージがない。
でも、なんとなく、何でそうなったのか分かりたくないのに分かる自分もいて、悔しい気持ちと自分を責める気持ちが残るようになりました。
家族の中で私が一番悩んでいる吃音について話を聞いていたんじゃないか
あの時に違う関わり方をすれば救えたんじゃないか
看護学生だったのに解決できなかったのか
私の部屋に泊まりにきたときは最期に飲んで語らいたかったんじゃないか
私がころしちゃったんじゃないだろうか
毎日ぐるぐる頭の中を回っていました。
年数が経つにつれて後悔と自責の思いが出てくる回数は減りました。 そして「お兄ちゃんの分も生きなきゃ、頑張らないと」と強く思うようになりました。
ある動画を視聴していたときに当時のお兄ちゃんの記憶が頭の中を駆けめぐって、後悔と自責の思いがどっと押し寄せてきました。たくさん泣きました。
時間が解決していたわけではなく、自分で当時の事実・感情にただ蓋をしていただけだったと思い知らされました。
お兄ちゃんのことを書いている今でも涙は出るし、息が苦しくなります。
私が考える看護師になりたい人の理想像は「困っている人に手を差し伸べたい、救いたい」と思った人が看護師になり「命を救う」「穏やかな最期を迎えるサポートをする」ものだと思っていました。
幼いころから父に褒められたい、認められたい気持ちが強くて看護師になろうと思い、お兄ちゃんの命も救えなかった自分が看護師であることに、ギャップを感じて他人にどう思われるのか自分を表現するのがずっとこわいと思っていました。
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