自己紹介

365日のうち休みが110日しかなかった夜勤で心も身体も疲れ切っていた看護師生活から週3日パート+副業で生きやすくなったブログ

プロフィールを開いてくださりありがとうございます。

看護師の方、日々看護業務お疲れ様です。

私は病棟で6年半勤務し、訪問看護師に転職しました。

現在週3日、日勤のみのパートでゆったり勤務をしており、副業もしているので十分生活できています。

フルタイムで働いていた頃は激務とリスクに見合わない対価、自分の健康はおざなり、看護師の働き方に日々疑問を感じていました。

家族のために、患者さんのために、職場のために。

と思い日々頑張っていましたが、自分の幸せのために生きても良いんじゃないかと思い働き方をガラッと変え副業を始めました。

私は今、毎日幸せを実感しながら生活しています。

あなたはいかがでしょうか。

自分に無理をしていないですか?そろそろ自分のために生きても良いのではないのでしょうか?

いきなり言われても…と戸惑うかもしれません。

まずは私のことをあなたに知っていただきたいので、自己紹介を書きました。ぜひ読んでください。

Contents

看護師になったきっかけ

私は小さな頃からお父さんが大好きで、お父さんがどこに行く時も着いていく、いわゆるお父さんっこでした。お父さんがお手洗いに行く時も…。

お父さんが知らないうちに出かけたときは号泣。

携帯電話が普及し、父が携帯電話を持つようになると毎日「何時に帰ってくるの?」と電話をかけていました。

そんな大好きなお父さんに物心ついた時から「看護師になるんだよ」と言われ続けていました。

当時おばあちゃんが入院しており、お父さんに連れられて毎週病院に面会に行っていました。

その時の病院の印象は気味の悪い異世界。

照明が薄暗くて、真っ白な殺風景な部屋。車いすや寝たきりのお年寄りが多く、クリーム色のカーテンで隣の人と仕切られ、独特なニオイがする、普段私が暮らしている世界とはかけ離れたところに感じていました。

面会の時にたまに看護師を見ることがありましたが、ただ淡々と働いている「病院で働いている人」というイメージ。その姿をみて「看護師になりたい」とは思ったことはありませんでした。

大好きなお父さんでしたが、何度も「看護師になるんだよ」と言う父に嫌気がさして保育園の卒園文集にある将来の夢には「ケーキやさん」と書きました。

「ケーキやさん」と見たお父さんは少し悲しそうな顔をしていたのを覚えています。そして「はるかは看護師になるんだもんな」と言われました。

悲しそうなお父さんを見て「大好きなお父さんを傷つけてしまった」と思い私の心が傷つきました。

お父さんを傷つけたくない、私も傷つきたくない、お父さんがなってほしいと思っている看護師は素敵な職業なんだ、私は看護師になるんだと幼いながらに思いました。

看護師になる!とさらに決意を固めた

私が小学校1年生のときに弟が生まれました。

それまでは私が可愛がられることが多かったのに、弟が生まれて激変。

お父さんに着いていくのはまずは弟優先。お父さんが運転する車に乗るときは、お父さんの膝の上は私の場所だったのですが、いつのまにか弟のポジションになっていました。

知らないうちにお父さんが出かけると寂しくて号泣していた私でしたが、運転席のお父さんの膝の上に弟が乗って出かけたところを見ると、寂しさと悔しさで大号泣でした。

お父さんに自分を見ていてほしい、褒めてほしい、看護師になったらきっとたくさん喜んでもらえる。

それからは将来の夢は?と聞かれるたびに「看護師」と答えていました。

看護師になった理由はもうひとつあります。

私には幼いころから大好きなひとがもう一人いました。

いとこのお姉ちゃんです。

賢くて、優しくて、スポーツもできて、器量も良い。週末になるとお姉ちゃんと遊ぶために、いとこの家に泊まりに行きました。

そのお姉ちゃんは看護師になりました。

大好きなお父さんがなってほしいと思っている看護師、そして大好きないとこのお姉ちゃんは看護師になっている。

私はやっぱり看護師になるんだ!!とさらに強い決意が生まれました。

看護師の職業以外になりたいなんて思いませんでしたし、選択しようと思いませんでした。

看護学生で得たこと。嫌でも我慢することと一生の友達

幼いころからの「看護師になる!」という夢を持ち続け、高校を卒業し看護学生になりました。

実家は田舎で通うにもとても遠く、看護学生になったタイミングで1人暮らしを始めました。

試練が待っていました…。

つらかった看護学生の実習

看護学生時代は目まぐるしい日々でした。

友達と遊びたい、バイトもしたい、そして迫ってくる課題や実習に追われる日々。

最初の実習記録はパソコン使用可能だったのですが、看護記録のデータが入ったUSB紛失事件が学内で起こり、それ以降個人情報保護のために記録は全て手書き。

コピペで終わる作業も全部手書き。

USB紛失・データ漏洩したかもしれない再発防止策が、「USBを使わないように手書きの記録にする」なんて。

「問題そこ?」

と思いつつも先生には逆らえません。

意見を言ったら悪い評価になるんじゃないか。目をつけられたら違うことにも口を出されるんじゃないか。荒波はたてないでおこう。看護師になれなくなる。

と思い従うしかありませんでした。

記録にとてつもない時間がかかり、実習期間中、寝る頃にはスズメのちゅんちゅんという鳴き声と朝日を迎えて数時間眠るだけでした。

睡眠不足で日中は眠たい気持ちを抑え、時々ボーっとしながら病棟で実習。

患者の健康のために看護をするといいつつ自分は不健康だなと思い、少し「看護師」というものに違和感を覚えました。

実習先の病棟では病棟の看護師が学生のフォローをしてくれるのですが、その看護師が「怖い」「厳しい」「優しい」の違いによって実習の疲労感も大きく変わりました。

あの病棟の○○さんは怖いというウワサを聞いてからその病棟の実習に向かう時は、緊張しっぱなしです。

看護師って優しいのかと期待していましたが、全然そんなことありませんでした。

記録や実習がどんなに大変でつらくても「私は看護師になるんだ」という根性だけは強くありました。

ここで挫折したら幼いころからの「看護師になる」という夢が叶えられなくなる。

自分を否定することになるのは嫌だ、我慢してでも乗り越えないといけないと。

と思っていました。

一生の友達ができる

進学した地域は地方都市。ビルの高さと街の人の多さに驚き、1時間に何本も通るバスと電車に感動していました。

(私の住んでいたところはバスは1時間に1本か2本でした。)

同級生はほとんど県内出身。私のように田舎から出てきた人は数名でした。

私は田舎出身で方言があり(当時は方言と自覚していませんでしたが)しゃべった時には「何そのしゃべり方?わざと?」と言われショックを受けました。

そこの地域ならではの気の強さと方言もあり、私の住んでいた地域とは人種が違うと思いました。

最初は「1人暮らしさみしい…都会の人こわい…実家が恋しい…」と思いながら日々過ごしていましたが、田舎者の私を受け入れてくれる友人ができました。

看護学科は「看護師になる」という同じ目標を持った人の集まりです。

授業も実習も課題もぜんぶ一緒。

学内ではほとんど一緒に時間を過ごしており、話題・悩みも共有することが多く休みの日も一緒に遊んでいました。

つらい実習を共に乗り越えて、学内のよく分からない規則に内心は反抗していたこともあり話題に事欠きません。

卒業し就職先が違っても、環境やライフスタイル、住む地域が変わった今でも連絡をとって会っています。

就職活動

看護師国家試験は2月。その前年の夏に就職活動。

先生は付属の病院に就職しろって言うし、他の病院について調べてないし。どうしても付属の病院で働きたいというわけでもないけど、別に良いかなと思っていました。

学生全員に用紙が配られ、就職を希望する病院を記入し先生に提出します。

他の病院で働くと希望を書いた生徒には、何回・何時間もかけて先生との面談がされていました。

それを横目に他の病院に就職するって大変そうだな、他の病院について調べるのはやめておこうと思い、付属の病院に希望を出しました。

働きたい病棟は第一希望から第三希望まで書ける枠があったのですが、私の夢は看護師になることだったのでどの科で働きたいという思いは特にありませんでした。

「外科って大変そうだな、内科にしよ」

「血液内科って人気があるんだ、そこにしよ」

そんな理由で第一希望は血液内科と書きました。

後に採用結果が届き、無事採用されました。

試験に合格すれば4月からその病院で働くことができます。

看護師になるという夢に近づいている実感がわきました。

それからは国家試験合格のために過去問を解いて、解説書を読んで。

友達と夜な夜なファミレスで勉強をしていました。

いよいよ国家試験

国家試験前日はゲン担ぎで豚カツを食べに行きました。

国家試験当日は学生全員、朝早くからバスで試験会場へ。

復習している人や緊張して顔色が悪い人、朝ご飯を食べている人、眠っている人、それぞれの時間を過ごしながら向かいました。

いつもの顔ぶれで試験会場に向かい、試験を受ける席も近く落ち着いた気持ちで試験を受けることができました。

3月。試験の合否結果が分かる当日。

ネットでも結果は分かりますが、気持ちが抑えられず役所の掲示板に見に行きました。

自分の受験番号を探して…無事合格!

お父さんに報告し、喜んでもらえてとても嬉しかったです。今までの努力が報われた気がしました。

合格して嬉しかった気持ちと、複雑な感情も混じっていました。

兄の死と自分の後悔。理想の看護師とは

翌年に国家試験を控えた年末、実家に帰省をしました。

私には6つ年上の兄がいて、とても優しくて、繊細な人でした。

大晦日、自ら命を絶ちました。

お兄ちゃんの悩み

お兄ちゃんは大学卒業後「資格を取るから」と自宅で過ごしていました。

当時は「そっかぁ」くらいにしか思っていなかったのですが、自宅で過ごす本当の理由を私に打ち明けてくれたのは、大学卒業してから何年も経った後でした。

お兄ちゃんは小学校高学年の頃に吃音(どもり)を指摘されてからずっとコンプレックスだったと私に打ち明けました。

「就職して電話をとるときにどもったらどうしようって思う、言葉が出んかったら仕事ができん。」

と話していました。

確かに話し出す時にどもることはあるけど、お兄ちゃんは仲の良い友人も恋人もいてコミュニケーションをとれているのに、何がそんなに不安なのかよく分かりませんでした。

「言われることを予想しておけば答えがスムーズになるんやない?」と私は言ってその時の会話は終わりました。

実家に帰省するたびにお兄ちゃんと会話をしていましたが、吃音について話すことも時々ありました。

「吃音専門の病院に言ったけど小さい頃やないと治せんって言われた。」

「優しく話を聞いてくれるいい先生に出会った、お金はいらんって言われた。」

「調べたら吃音の人は脳に障害があるって、脳に障害がある人は残酷な事件を起こすってテレビで観てこわいんやけど。」

最初は「そうか」と話しを聞いていましたが、最後のあたりはちょっとお兄ちゃんおかしくないかと思いながらも「大丈夫やろ」としか言えませんでした。

最後に私の部屋に訪れた日

12月、「そっちで資格試験があるから泊まらせてほしい」とお兄ちゃんから連絡があり、私が1人暮らしをしている部屋に泊まりました。

試験が終わった夜はお兄ちゃんから「お酒を飲もう」としきりに何度も言われました。

私は翌日授業があり課題があるのと、早く寝たいと思い断りました。

それから看護師試験ももうすぐで、働く病院も決めていてプレッシャーもストレスもあるのに、お兄ちゃんはずっと家にいて働きもしない、何をしてるんだとお兄ちゃんに苛立つようになりました。

お兄ちゃんの死

年末、私は帰省しましたがお兄ちゃんとはろくに会話をしませんでした。

お兄ちゃんとは「帰ってきたよ」「おやすみ」というそっけない会話をしただけでした。

大晦日。お兄ちゃんは息を引き取っていました。

受け入れたくない気持ちと
もうここにはいないんだという悲しみがあって。

泣き止まない私を見てお母さんに
「お兄ちゃんは楽になったんやで」と泣きながら声をかけられました。

何でそんなこと言えるのか分からない。
泣いているお父さん、お母さんの後ろ姿を見てこんなに悲しませてお兄ちゃんを許せないという怒りの感情が溢れてきて。

遺書なんてふざけた遺書でした。
何で死んだか分からない、遺された私たち家族に何もメッセージがない。

でも、なんとなく、何でそうなったのか分かりたくないのに分かる自分もいて。

悔しい気持ちと自分を責める気持ちが残るようになりました。

家族の中で私が一番悩んでいる吃音について話を聞いていたんじゃないか

あの時に違う関わり方をすれば救えたんじゃないか

看護学生だったのに解決できなかったのか

私の部屋に泊まりにきたときは最期に飲んで語らいたかったんじゃないか

私がころしちゃったんじゃないだろうか

毎日ぐるぐる頭の中を回っていました。

お兄ちゃんに心臓マッサージをして生き返る、棺桶で眠っていたお兄ちゃんが目を覚ます、キッチンでお兄ちゃんが何かを作っている後ろ姿、何かしゃべって笑っている顔。

そんな夢を見ることもありました。

起きると夢だったと気づき、お兄ちゃんは死んだんだと現実を突きつけられて暗闇にひとりいるような気分でした。

でも、もう1回眠ったら夢だけでもお兄ちゃんに会えるんじゃないかと期待して眠ることもありました。

年数が経つにつれて後悔と自責の思いが出てくる回数は減りました。

そして「お兄ちゃんの分も生きなきゃ、頑張らないと」と強く思うようになりました。

「なぜ看護師になりたいのか」聞かれると苦しい

「なんで看護師になりたいと思ったの?」

学生のころから今まで何度も何度も聞かれました。

聞かれたときは「おばあちゃんが入院していた時に看護師を見てなりたいと思った」と当たり障りない答えをしてきました。

正直言うとこの質問に答えるのが今でもとても苦しいです。

私の理想の看護師像は「困っている人に手を差し伸べたい、救いたい」と思った人が看護師になり、「命を救う」「穏やかな最期を迎えるサポートをする」ものだと思っています。

幼いころから父に褒められたい、認められたい気持ちが強くて看護師になろうと思い、お兄ちゃんの命も救えなかった自分が看護師であることに、ギャップを感じて他人にどう思われるのか自分を表現するのがこわいと思ってきました。

当時のお兄ちゃんの記憶が頭の中を駆けめぐって、後悔と自責の思いがどっと押し寄せてくることがありました。

時間が解決していたわけではなく、自分で当時の事実・感情にただ蓋をしていただけだったんだ。

そう思い知らされました。

ただ、前と変わったことは自分の気持ちをごまかすことなく、逃げることなく、蓋をせず。

そのままの気持ちに自分で気づき認められるようになりました。

お兄ちゃんが亡くなって悲しい。あの頃を後悔している。戻れることなら戻りたい。自分を責める気持ちもある。

看護師になったきっかけはお父さんに認められたかった、褒められたかったから。

ありのままの感情を受け入れることで、自分を否定することなく今を生きることができています。

つらすぎて泣いた新人看護師時代

4月。いよいよ病棟での勤務。

病院のすぐ隣に職員用の寮があり、家賃も安く通勤時間もかからないので入りました。

血液内科への希望が通り、同期は6人でした。

病棟で勤務

それはそれはつらい新人時代でした。

業務が大変なのはもちろんですが、何よりもつらいのは人間関係。

優しい先輩看護師もいますが、こわい先輩看護師もいます。

前日の夕方に明日担当の部屋割りがホワイトボードに貼られるのですが、一番気になったのは指導してくれる看護師は誰か。

苦手な先輩看護師だと「憂うつだなあ…」と思いながら眠り、朝を迎えていました。

勤務開始時間とともに「おはようございます。情報収集とスケジュールの確認お願いします。」と声をかけるのですが、「何か用?」「今話しかけるの?」という感じの嫌そうな顔。

新人看護師は自主性が大事なので積極的に声をかけないといけないと言われたのですが、声をかけるのも嫌になる。

そして勤務時間終了後に先輩の指導があるので、帰る時間は遅くなる。

もっと話しかけやすい雰囲気を作れば良いのに、指導は端的に的確にすれば良いのに。とモヤモヤしていました。

指導されて一番泣いたことは今でも忘れられないのですが、苦手な先輩看護師が私の指導担当の日。電子カルテの入力でした。

血糖測定をしたら料金をとるために血糖測定の処置項目をクリックするのですが、加えてインスリン注射をした場合はインスリン注射の料金もとらないといけませんでした。

昼食前、担当していた患者さんに血糖測定とインスリン注射をし、先輩看護師に「コストとるからカルテはクリックせずにそのままにしておいて」とさらっと言われました。

夕方、カルテ入力をしていた際に血糖測定の処置項目にうっかりクリックをしてしまいました。

勤務時間が終わり、先輩看護師の指導が始まりました。

「インスリンのコストなんだけど…」と先輩看護師が言葉を発した時に(あっ!クリックしちゃったんだ!!)と気づきました。

先輩看護師がカルテを見て気づき「え?クリックしないでって言ったよね??なんでクリックしたの?」

私は(カルテに入力したときにクリックしないでと言われたことを忘れてた…いつもの習慣でクリックしたなんて言ったらどんな反応されるんだろう、この人こわいし…)と思い何も言えませんでした。

「ねぇ何で?」

「何でクリックしたの?」

「何でクリックしたんですかぁ~?」

「私クリックしたって言ったよね??」

と言い方を変えて何十回も聞いてくる先輩がこわくて何も言えませんでした。

こわくてどうしたら良いのか分からず、取り返しのつかないことしたんだと思い涙が溢れました。涙でマスクがびちょびちょ。

すると先輩の攻撃は止まり「まあ、クリックしてもコストとる方法はあるんだけど」と言いながら、その方法を教えてくれました。

心の中で(え…あるんだ…)と思いました。

そして指導は終了。

つらくてお母さんに電話

指導でこわかったのと、どうしたら良いのか分からないのと、悔しい気持ちで整理がつかず、お母さんに電話をしました。

お母さんの「もしもし?」を聞いた時には涙がどっと溢れました。

「…仕事……つらい…」と泣きながら言うのがやっとでした。

急な電話できっと驚いたと思います。

「看護師さんの仕事はつらいよな」とお母さんは言いました。

ただ、それだけで安心しました。

同期がいたから続けられた

新人の時は何か指導をうけたらすぐにメモ。メモ帳を肌身離さず持っていました。

同期のメモ帳の表紙に「あのえがおがムカツクーーーー」と殴り書きがしてありました。

もしかして…と思い「これって○○さん(苦手な先輩看護師)のこと?」と聞いたら「あーバレちゃったぁ?」と悪気なく笑顔。

私も思わず笑っちゃいました。

私が前にその先輩の指導で号泣したことエピソードを話すと、「分かるー!意地悪なんだよね、指導のやり方が」と同期のエピソードも聞きました。

先輩にそう思っていたのは自分だけじゃないんだ。気が楽になりました。

同期とよく集まって、先輩看護師や医者、患者さんのことをよく話しました。

同じ悩みを持っていたり、新たな発見があったり。

同期がいなかったら、1人だったら、続けることができなかったと思います。

初めての夜勤

6月の末から夜勤が始まりました。

勤務している病棟は2交代制。

日勤は8時半~17時15分。

夜勤は16時半~9時15分。

これはあくまで定時の時間で、前残業も後残業もしていました。

もちろんお金が支払われない残業、いわゆるサービス残業です。

サービス残業が当たり前の空気だったので、おかしいこととは思っていませんでした。

初めての夜勤、多くの患者さんを看るし情報収集のために早く病棟に行かなきゃ!と思い、15時前に病棟に着きました。

結果ズタボロ。

バイタルサイン測定、ご飯・内服した薬の確認、点滴、トイレの付き添い、おむつ交換と体位交換、吸引、口腔ケア。

日勤よりも格段に多い患者数で業務が多すぎ。キャパオーバー。そしてインシデント多発。

夜勤中はぐっと涙をこらえましたが、寮に戻るとプツンと緊張の糸が切れ、涙がどっとあふれてきました。

なんでこんなことしなきゃいけないんだろう。

なんで自分はできないんだろう。

でも夜勤をやりたくないなんて言えない。

日勤だけじゃなく夜勤もできるようにならないと看護師じゃない。

今までおかしいと思ったことでも上の人には意見を言ったことはなく、我慢をしてきました。

「自分が嫌と思っても言われたことは自分の課題、自分がやること」

それが当たり前だと思っていたので、どんなに苦しくても乗り越えないといけないと思っていました。

病棟勤務、続けられた理由と辞めたいと思ったとき、そして退職

つらすぎて泣いた新人看護師時代でしたが、それでも病棟での勤務を続けることができました。

病棟勤務で嬉しかったこと

つらかった病棟での勤務でしたが、嬉しかったこともあります。

治療は何回かのクールに分けてされます。

1クールは3週間~1ヶ月ほど入院となり、患者さんは1クール終わったら退院、2クール目の前に入院をしていました。

入院の度に関わるので、まるでお店の常連客のような顔なじみになります。

退院、入院の際に私の顔を見ると「またよろしくね!」と声をかけてくれると、患者さんに頼られているんだ、認められているんだと思い嬉しくなりました。

働きだした頃は安全に患者さんが過ごすことができるように、1日の決められたスケジュールをすることでいっぱいいっぱいでしたが

次第に業務を覚えて時間と気持ちにゆとりがでてくると、患者さんと病気や治療だけでない、他愛ない会話をするのも楽しくなっていました。

治療が一通り終わり、退院した患者さんが病棟に会いに来て元気な姿を見せてくれるのも、看護師として働く励みになりました。

どんどん自分のできること、任されることも増え、看護師にやりがいを感じていました。

その反面、ストレスも多く抱えるようになりました。

ストレス発散で飲み歩く&ショッピングする

新人の頃は帰宅する時間も遅く、パパっとご飯を食べて、お風呂に入って、明日担当する患者さんの病気や治療について調べたら布団に入るを繰り返す毎日。

他のことをするなんて考えられなかったのですが、2年目、3年目になると業務はできるようになるので時間に余裕ができるようになりました。

先輩看護師との人間関係や、病気を抱える患者さんを看ること、昼夜関係なく働き生活リズムも乱れてストレスもたまる日々。

病院という場所から離れて飲みに行くことがストレス発散になっていました。

そしてショッピングも大好きでした。

好きな洋服ブランドの新作が出ると買ったり、ボーナスが出た月は自分へのご褒美でブランドの財布やアクセサリーを買ったり。

その場その場をただ楽しむことがストレス発散になっていました。

看護師は一般的な平均年収よりもやや高い年収で、生活やお金には困ることはありませんでした。

辞めたいと思ったとき

6年半病棟で勤務していましたが、それまで「辞めたい」と思ったときは数えきれないほどありました。

人間関係が嫌だと思ったこともあったし、急変した患者さんを対応した日はずっと緊張しっぱなしで夜は心が落ち着かなくて眠れなかったし、患者さんから叱られた日はとてつもなく落ち込んだし、休憩時間もろくにとれずに夜勤をした日は朝方低血糖で手が震え「もうやだ」「辞めたい」と何度も心の中で思いました。

辞めたいと思った日があってもストレス発散に飲みに行ったり、買い物したり、一時的に楽しい時を過ごせばまた病院で働くことができていました。

それに「嫌なことでも我慢して続けること」が私の中に植え付けられていたので自分なりに続けることができていたんだと思います。

そして我慢して働き続けていたら嫌な先輩看護師はいなくなり、自分にとって働きやすい環境になっていきました。

辞めたいと思っても「転職した先が嫌な環境かもしれない、何年も我慢してきたんだ、やっと働きやすい環境になってきたところだからこのまま続けよう」と転職するよりもそのまま続けることを優先していました。

自分が経験年数の長い看護師に

病棟の看護師はライフイベントや転職、看護職から離れて休みたい人など、数年での入れ替わりが当たり前でした。

苦手な先輩看護師も産休、退職や異動などでいなくなっていきました。

いつの間にか自分が病棟の中で経験年数が長い看護師になり、新人看護師の相談役や、教育係をするようになりました。

自分が先輩看護師にされて嫌だったことはしたくないと思いながら過ごしていたのですが、

ある時新人看護師に「優しくて働きやすいです!」と言われたときはとても嬉しかったです。

病棟が良い雰囲気になって良かったと感じました。

そして訪れた退職

私は結婚をしてからも同じ病棟で働き続けていたのですが、転機が訪れました。

それは旦那の転勤です。

転勤が決まった時は「新しい環境で家族も友達も遠い…」と不安もありましたが、それを大きく上回ったのが

「やっと辞められる!!!」という開放感でした。

何度も辞めようと思った、それでも環境を変えるのが怖くて辞められなかった。

自分の居場所はここだと言い聞かせていましたが、

これで自由になれるんだ。もう頑張ってここで働かなくて良いんだ。

と思うと、先の見えなかった暗闇に光が差したような気持ちになりました。

退職を決めてから失業手当を受け取るまで~有給消化と師長さんとの闘い~

旦那の転勤が決まり、新しい土地で生活する不安よりも「やっと仕事を辞められる!」と開放感でいっぱいでした。

退職前に有給休暇を

旦那に「辞める前に有給消化できるよね?」と言われました。「え?どういうこと?」と思いぽかんとしましたが、普通の会社では退職前に有給消化ができるそう!

私が「有給消化して辞める人いなかったし無理だよ~。」と言うと「いや、無理とかじゃなくて法律でできるようになってるから。」と旦那に言われました。

えー…そういうものなの?とちょっと疑いを持ちながら、師長さんに退職することと有給消化したいことを伝えることにしました。

辞令が出た翌日勤。

「師長さん、話したいことがあるのですが…」と言い2人で話せるスペースに移動します。

まず、旦那の転勤の辞令が出たので退職したいと伝えました。

結婚した当時から転勤する可能性はあると師長さんには話していたので、「前から言ってたからね」という感じでした。

「転勤先にも系列の病院があるけど、退職じゃなくて異動はどう?6年半も働いてキャリアもそのまま引き継げるし」と言われましたが「一回退職してから次働くところを考えたいです。」とはっきり伝えました。

このやりとりを何回か繰り返し…

そして「退職前に有給休暇をとりたいです。」と伝えました。

…。

少し間が空き師長さんの表情が消え、冷たい目になりました。

「有給休暇は退職する人のためにあるものではありません。働き続ける人のためにあるものです。今までそんなこと言って辞める人いましたか?」

今までそんなこと言って辞める人はいなかったですけど。

というか退職前に有給休暇を消化できるって知らないのか(病院からそんなこと教えてくれないですし)、取りたくても有給消化したいなんて言えなくて諦めていたか、だと思うんですけど。

今までどんなに働いても有給休暇は年間数日しかとれなかったのに。

毎年消化しきれない分は無くなっていたのに。

私の言っていることが間違っているという圧を感じながら言われたのですが…そうなんですか?

と心のなかで思いながらも言葉には出せず。

そこは引き下がって労働基準監督署へ行きました。

労働基準監督署へ

緊張しながら労働基準監督署へ向かいます。

(労働基準監督署ってブラック労働をしている会社を取り締まるところだよね。自分の病院のことを言ったら何かおおごとになっちゃうのか。)

とドキドキしながら到着、相談窓口へ向かいました。

番号札をとり、相談を待っている間は「私って悪いことしているのかな」と思えてきました。

番号が呼ばれ相談窓口へ。

退職すること、上司に退職する前に有給休暇を消化したいと言ったらできないと言われたことを説明しました。

「それは違法ですね。退職日までに有給休暇の消化を希望する場合、拒否はできません。有給休暇を消化するのはあなたの権利です。」と言われました。

良かったぁぁぁ!!安心した!!私悪いことしていないよね?!!!と心の中で叫びました。

「サービス残業もしていないですか?休みの日に出勤はしていないですか?時間の記録があれば2年さかのぼって請求できますよ」とも言われました。

サービス残業も休日出勤もしていました。

○○係や○○委員会があるのですが、日勤・夜勤の業務時間内にはできず、サービス残業・休日出勤が当たり前でした。

今思えば、当たり前と思っていた感覚がおかしかったんですよね。

しかし、時間の記録はしていないので請求はできません。

改めて師長さんに有給消化したいと言う!

師長さんに「有給消化したいです。労基に行ってきました。」と言いました。

「そう…。〇月いっぱい有給消化で良い?」と言われました。

労基に行って話してきた内容も聞かずにこの返答。

有給消化を希望されたら拒否はできないって知っていたのでしょうか。

病院に、病棟に、自分なりに貢献してきたと思っていました。

病棟で働いて学んだことはたくさんありました。嬉しいことも、楽しいこともありました。

嫌なことがあっても我慢して続けてきました。

でも、権利を与えられないのはおかしいですよね。

有給消化ができないのも、サービス残業も、休日出勤していたことも。

当たり前だと思ってやっていたことが、病院の外から見るとおかしいことなんだと気づきました。

旦那の異動・転勤が決まり退職の道が見え、今回の師長さんとのやり取りもあり、少し冷静に客観的に自分が見れるようになりました。

失業手当を受け取るためハローワークへ

病院を退職。そして引っ越し。

働き出してから最長の休みは夏休みの1週間だけでした。

「退職してやっとゆっくりできる~!長い休みだ~!!」とウキウキしていました。

ゆっくりできるのは良いですが
「転職までの期間、収入がないのは困るな。」

ということで失業手当を受け取るためにハローワークへ。

病院からもらった退職証明書を提出したのですが、退職理由が「自己都合」になっていました。

相談窓口の人に旦那の転勤に伴い退職したことを伝えると

「それは自己都合ではありませんね。変えておきます。」と言われました。

後から知ったのですが、自己都合退職とそれ以外の退職では、失業手当が給付されるまでの期間が違いました。

私が辞めた当時は自己都合退職の場合、給付するまで1週間の待期期間+3ヶ月の給付制限がかかります。(2020年10月からは2ヶ月に短縮されています。)

今回修正してもらえたので、1週間の待期期間のみで失業手当がいただけました。

窓口担当の方に感謝です!!

私の長期休暇&転職活動が始まりました。

朝起きて夜眠れるって最高!転職活動~訪問看護を選んだ理由~

病棟から離れた生活で第一に思ったのは夜眠れるって良い!健康的!!

自分の体を考えて、転職先では夜勤をしないところを一番に考えました。

転職活動、なぜ訪問看護を選んだのかお話します。

長い休暇を楽しむ!夜眠れるって最高!

引っ越しして、新しい土地で駅から自宅までの道を覚えたり、スーパーの場所を覚えたり。

病棟で働いていた時は自炊する気力もなく外食が多かったのですが、時間もできたのでいろんな料理を作ってみました。

スポーツジムに行ったり、ニンテンドースイッチを買ってゲームをしたり。

普段ゆっくりできないことができ毎日充実していたのですが、何よりも一番嬉しかったのは「夜眠れること」です。

夜勤をしていた頃は15時に病棟に行って、次の日の10時頃まで勤務。その間仮眠休憩1時間半でした。

夜勤ってそういうものだし仕方ないと思うのですが、病棟から離れて毎晩夜に眠り翌日の朝起きる生活が続くと「人間の生活をしてる~!!」と感動しました。

寝不足、栄養不足でフラフラにならない、イライラもしない。

検診の採血を夜勤明けにしたことがあるのですが、採血結果はボロボロ。数値が悪すぎる!

夜勤をやっていると「しんどい~」と思っていましたが、採血結果で目に見えてそれほど身体にストレスを与えているんだ分かりました。

転職活動

休暇を楽しみながら転職活動も並行していました。

求人情報を探しにハローワークへ。

夜眠れる生活に感動していたので「夜勤をしない」が転職での最重要事項です!

それに加えてなるべく家の近くが良いな~、残業はしたくないな~、と思いながらパソコンで求人情報を検索しました。気になる求人情報を印刷して、ハローワークの職員さんと面談。

面談の際に転職先を検討するポイントをいくつか教えてくださいました。

  • 給料は年収か、年俸か
  • 残業代がすでに給料に入っているのか
  • 入っていないか年間休日日数はどのくらいか
  • 退職金があるのか、ないのか

病院や企業によってさまざまです。いろんな情報が入ってきて頭の中が混乱…。

夜勤なし、残業が少ない、通勤片道30分以内のところを出したのですが、ポイントも考えると悩む。

ということで、持ち帰って考えることにしました。

看護師専門転職サイトを使う

スマホで求人を検索し、看護師専門の転職サイトも利用しました。

こっちのサイトにはこの病院が載ってるけどあっちのサイトには載っていない、なんてこともよくありました。

たくさん求人情報がありすぎて、どこに絞ったら良いのか分からない!

ということで「気になったらこちらへ電話を」に電話をかけました。

まずは看護師経験(どのようなところで、何年勤務したか)、退職理由を聞かれました。そしてどのような働き方をしたいのか聞かれました。

「日勤だけで残業がないところが良いです。○○に住んでいるので、家から勤務地まで30分以内の通勤時間のところが良いです。」

どのような場所で働きたいのか聞かれました。

「ばたばたしている病棟よりも、ゆっくり患者さんと向き合えるところが良いです。」

それだとデイサービス、訪問看護になるかな、と言われたのですが

「訪問看護はちょっと…人の家に上がるのは…」

訪問看護をしている友人が汚い家にあがることもあると言っていて、嫌だったんです…。

いくつか私の希望に合う転職先の候補を探していただき、後日面談することになりました。

転職サイトの方と面談

面談のために某ビルへ。

面談では改めて看護師経験、どのような働き方をしたいのかを聞かれました。

働き方は「日勤のみ」「通勤30分以内」「土日休み」「有給取得率が良い」「残業が少ない」

どんどん欲張りになっていきます…。

全部叶えるのは正直難しく、優先順位を3つつけるように言われました。

最重要事項の「日勤のみ」は1番!

朝はゆっくりしたいし家には早く帰りたいし、通勤に時間はかけたくない!ということで「通勤30分以内」を2番に。

病棟勤務は不定休だったので、旦那さんと休日はすれ違いでした。旦那さんが土日休みなので休日一緒に過ごせたら嬉しいと思い「土日休み」を3番に。

3つの希望が叶うところをいくつかピックアップしていただいて確認すると…

訪問看護とデイサービスばかり!

家に上がるのは抵抗があったのですが「ここの土地柄はきれいなので、そこまで汚い家はないですよ。」と言われました。

半信半疑でしたが「そうなんですか…えーっと、考えます。」ということで持ち帰り翌々週に面談することになりました。

どこで働こうか考える

ハローワークと転職サイトでピックアップした求人情報を並べて考えました。

そもそもデイサービスと訪問看護についてなんとなくしか知りません。

実際どのような業務をしているのか調べてみました。

求人情報に掲載されていたデイサービス・訪問看護のサイトを見て。雰囲気は良い感じ!

私がいただいた求人情報では年収が高いのが訪問看護。休日が多いのがデイサービスでした。

訪問看護で一番引っかかったのは汚い家に上がることだったのですが、日勤のみ、通勤30分以内、土日休みでぴったり希望に合うし。汚い家に上がるのかどうかは訪問看護やってみないと分からなくない?と思いました。

デイサービス、訪問看護どっちも良いじゃん!ということで後日転職サイトの方との面談でどちらも前向きに考えていると伝えました。

デイサービス1つ、訪問看護2つ面接をすることになりました。

面接日調整、面接、採用結果まで~すべて転職サイトが仲介~

面接の申し込み、調整は転職サイトにおまかせで、自分でするのは面接の準備と当日面接に行くことのみ。

面接では看護師経験と退職理由、ここで働きたい理由を聞かれるだろうと思い、事前にメモに書き出し、返答する練習をしました。

面接した時期は冬。

念のため面接日の天気予報を確認していたのですが、ひとつの面接日になんと雪の日が!

電車が遅延する?バスがストップする?と不安を抱きながら早起きしました。

そして面接当日。

やはり雪!

電車とバスで行く予定だったのですが、電車は遅延しバスはストップ。かなり時間に余裕をもって出発し、駅から徒歩で行くことに。

時間に余裕を持ちすぎてしまいました…。

早すぎる時間にいってもあちらの迷惑になるので、面接場所を確認してから近くのコンビニで一休み。

そして面接。

訪問看護とは、デイサービスとはという話も面接官から聞けました。

面接で訪問看護に心を動かされた

訪問看護の面接官から

『病院だと医師が中心になる、その元で患者さんを看護する病院主体。退院して自宅に帰って、地域で看るようになったら患者さん主体になる。その人のやりたいこと、できないことをサポートしてその人らしく生活できるようにサポートするのが私たちの役割。私たちが中心ではない。』

と話を聞いたときにハッとさせられました。

確かに病院は病院の管理・規則のもとで患者さんが過ごしています。

病院は一時的な場所であって、今までも、これからも患者さんの生活する場所は自宅。

その人をまず第一に考えられる、その人らしさを尊重できるって良い!

退院してから実際にどのようなサポートを自宅や地域で受けているのかも知りたい!

生活の場を支えられる訪問看護って良いなと思いました。

緊張しましたが事前に返答の練習もしていたこともあり、返答はできました。

無事終了し、あとは転職サイトから結果を待つのみ!

採用結果

後日、3社とも採用の通知が来ました!

どこで働こうか決めきれず…転職サイトの方に話を聞いてもらいました。

3社ともスタッフさんや面接を担当してくださった方の雰囲気が良かったこと。
訪問看護の面接の際に話を聞いて、デイサービスよりも興味がわいてきたこと。
ただ、家に上がるのはまだ抵抗があること。

30分以上は話を聞いてもらったと思います。

「話を聞いていると訪問看護への気持ちが伝わります。訪問看護をしてみても良いのではないのでしょうか?」と背中を押されました。

訪問看護2つを比べて家からより近く、給料が良いところを選びました。

お断りも働きたい意思も転職サイトが仲介してくれます。

転職サイトの方に話を聞いてもらい、改めて自分がどのような働き方をしたいのかを考え見つめなおすことができました。

客観的に私のことを見ていただき、アドバイスをいただけたので訪問看護に転職ができました。

自分1人での転職活動だったら、3つも希望が出せなかったと思います。(転職先の会社とのやり取りだけできっと疲弊します…)

転職サイトの方には本当に感謝です!

訪問看護の魅力を知る

訪問看護の仕事が始まりました!

まずは訪問看護とはという説明をうけ、そして看護師やリハビリの訪問に同行して学びました。

転職活動の時は家にあがるのに抵抗がある…と思っていた私ですが、それ以上に訪問看護の魅力がたくさんありました。

そして時間にゆとりができました。

外の空気が吸えるって気持ちが良い!

事務所から訪問先までの移動は電動自転車。

はじめに感動したのは勤務中に外の空気が吸えること、季節を感じられること!

病棟で勤務しているときは白い無機質の壁、代わり映えのない風景で淡々と過ごす日々。通勤はただ病院と自宅を往復するだけだったので、外を感じることってありません。

訪問看護では桜が咲く頃には公園の桜を見ながらお昼ご飯を食べたり、移動の途中で川沿いの桜道を通ったり。

桜だけでなく夏の新緑、紅葉、枯れる木々といった景色の変化に気が付き、花のにおいも感じることができます。

何気ない日常が季節を感じるだけで充実した1日になりました。

利用者さんと一対一で向き合える

訪問時間は利用者さんの状態によりますが、30分、60分、90分があります。

その日の状態を看ること、処置や清潔ケア、薬やリハビリなどもしますが、今までの生活歴、最近の出来事やなんでもない会話もたくさんできます。

病棟勤務の時は「その日の業務を安全に終わらせること」が第一優先になっていました。

患者さんと話していてもナースコールだったり、点滴や処置の時間もあったりで、なかなかゆっくり話せません。

訪問看護の時間は私と利用者さんの時間。

何にも妨げられず向き合うことができるので「こんなに話すことができるんだ!」と思い嬉しかったです。

時間にゆとりができて副業を始める

夜勤をしない日勤だけの勤務。

朝起きて夜眠れるなんて幸せ~とつくづく思いました。

土日休みなので旦那さんと過ごす時間もできました。

断捨離&メルカリで稼ぐ

時間にゆとりができて始めたのは断捨離。

私はなかなかモノを捨てられない性格で、「いつか使うだろう」と思ってモノを残しておくことがよくあります。

「今使わないなら手放そう!」と思い切って断捨離を始めました。

ただ捨てるだけではなくてお金になったら良いと思いメルカリで売りました。

1ヶ月で3万円も稼げました。

自分が使わないモノを出品しただけでこんなに稼げる!感動です。

どんどん断捨離がすすんで出品しました。

洋服やアクセサリー、靴やカバン、スポーツウェア、ゴルフ用品、ぬいぐるみ…。

どんどん出品し販売利益は50万円を超えていました。

モノに溢れているとモノについて考えたり、選択したり、モノからの情報で頭がいっぱいになります。

断捨離が進むとモノが頭から離れるので、さらに時間にゆとりができました。

副業でブログを始める

せっかく時間にゆとりができたので「やりたいことをやってみたい!」と思い、考えたのは副業を始めること。

社会人になってからずっと看護師として労働収入を得てきましたが、看護師以外の方法でもお金を稼ぎたいと思いました。

「ブログって稼げるらしい」と聞き、世界中どこでもインターネットとPCさえあれば稼げるなんてカッコイイ!と思いチャレンジしてみました。

結果約1年全然稼げず。

「ブログを書いたら稼げる」と思い込んでいましたが、そんなことはありませんでした。

稼ぎ方を知らないと、実践できないと全く稼げません。

でも看護師の収入もあるし、まぁ稼げなくても良いかぐらいに思っていました。

自転車で転んでケガ、看護師以外の収入を得ないとマズイと気づく

雨の日。

訪問で家から家への移動中に雨に濡れた段差でスリップ。

転んで顎を思いっきり地面にぶつけました。

脳が揺れた感じがしてしばらくぼーっとしていました。

「起きて訪問に行かないと!時間に遅れる!」と思い、起き上がって自転車をこぎました。

それから数日後、痛みが肩にでてきました。

そして動くだけでも気持ち悪い。

病院を受診し、打撲によるむち打ちと診断されました。

それからも勤務していたのですが、動くと頭がぐらぐらするし、屈むと吐きそうになる。

再度受診したら「まだ仕事してるの?休みなさいよ」と言われ、急遽訪問していた利用者さんを他の看護師に引き継いで休むことに。

動くだけでも気持ち悪いのでしばらくベッドでの生活でした。

勤務中のケガだったので幸い労災保険がおりたのですが、このままだとマズイと思いました。

このまま働けなくなったらどうなる?

収入がなくなる?

看護師以外の方法でお金を稼ぎたいって思ってたのに、全然稼げてないじゃん。

看護師は安定職じゃない

病棟でも訪問看護でも「看護師は安定している」って心のどこかで思っていました。

そんなことありません。

夜勤もして、時間と業務に追われ、体調が悪くても休めない。

心の安定はありません。

経営が赤字だったらボーナスは出ない。

昇給は当たり前じゃない。

病院だって訪問看護だって経営難でつぶれるところもあります。

お金の安定もありません。

だったら「看護師だけ」で稼ぐよりも「看護師+副業」で稼いだ方が絶対良い!

副業ブログで稼げなくてもまぁ良いかと思っていましたが、心機一転、「副業で稼ぎたい!ブログで稼ぎたい!!」と強く思いました。

現在訪問看護パート週3日+副業で生活

そして現在、お金の使い方を考えるようになり、副業で稼げるようになり、訪問看護は日勤のみで週3日パート+副業で生活できるようになりました。

時間に余裕があって、やりたいことやって。

誰かのためじゃなく自分のために穏やかに過ごせる環境をつくったことで、心に余裕ができました。

理由もなく焦ることやイライラすることもめっきり減りました。

充実した日々をおくれています。

人生を変えたい看護師の手助けをしたい

病院で働くだけが看護師ではありません。

訪問看護で働くだけが看護師ではありません。

医療機関で雇われて働くことだけが、看護師という資格を持っている人の働き方ではないと思っています。

広い世界で人と関わることが看護だと思っています。

医療機関で働いて心身疲弊していた私が変わったように、心にゆとりが持てる看護師を増やしていきたいです。

私のように転職して看護師の働き方を変えたい人、副業を始めてみたい人、LINEから相談していただければお返事します。

どのようにブログで稼いでいるのか、ここでは紹介していない濃い内容も伝えていきますので、ぜひ登録してくださいね。

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ABOUT ME
はるか
訪問看護パートで週3日+副業で生活しているナース。 看護学生卒業後は三次救急の病院に就職。 フルタイムで働き心身共に疲弊する生活に疑問を抱きながら 「家族のために、患者さんのために、職場のために」 と思い日々頑張っていました。 「幸せってなんだろう。自分のために生きたい。」 と思い、働き方をガラッと変え副業を始めました。 私は今、生活にも時間にもゆとりがあり、毎日幸せを実感しながら日々過ごしています。 パート+副業の経緯や私がどんな生活をしているのか、詳しいプロフィールはURLをクリックすると見ることができます☆
フルタイム労働がツラい方へ


日勤・夜勤フルタイム勤務が大変、ツラい、辞めたい、働き方を変えたい、他の働き方ができれば…と考えている方へ。
私は労働だけではない収入を得られるようになったことで、マイペースに看護師ができ、楽に生きられるようになりました。
ボタンをクリックすると、ツライ思いをして働いていた過去から楽になった現在までのエピソードを載せているので、興味があればご覧ください。

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